旧第二保育所の園庭には2本の桜の木がありました。
旧第一小学校分校、旧第二保育所、授産施設うみねこ
、地区のペタンク場と、変化はありましたが、70年以上、女川の子供達をはじめ、町民を見守っていてくれた
桜でした。
2011年3月11日、女川町を襲った大津波は
街を茶色の瓦礫の山に変えました。
今まで住んでいた家が流され、多くの人が犠牲と
なりました
町内にたくさんあった、サクラの木々も津波によって
根元から引き抜かれ、海中へと姿を消しました。
町の中は、ガレキや土砂で埋め尽くされ、色を失い
茶色の街となりました。
旧第二保育所園庭の桜だけは、上部を失いながらも
根元の幹だけは残っていましたが、もう死んでしまっ
たと思われていました。
4月も終わりかける頃、避難場所であった総合体育館
から、駅の方へ歩いていたとき、茶色の風景の中に、ちらっと薄桃色のものが見えたのです。あの、サクラの幹に
花が咲いていたのです、三輪。そして新し枝も、緑の葉も。
生きていた!花を咲かせている!!
この桜の木を守ろうと、活動が始まりました。
茶色一色の景色の中に咲いた、薄桃色の花は、みんなの心に
ガンバレ!というエールを送ってくれていたのです。
樹木医が駆けつけ、大きく傷ついた幹の手当てをし
てくれました。町行政も周囲を柵で囲ってくれました。
中学校の生徒や先生達が水を撒いてくれたり、高校生が周囲に花いっぱいのプランターを置いてくれたり・・
たくさんの人々が、樹勢の回復を祈りました。
とりわけ暑かったこの年の太陽に耐え、サクラは
枯れても枯れても、次々と葉芽を出し、枝を伸ばし
生きようと頑張っていました。
9月になって、とうとう1本の枝も、一枚の葉も残すことはできませんでした。
2012年4月27日。樹木医の診断を受け、枯死が宣告されました。
危険を避けるため、伐倒することが決定されました。
2012年5月17日、サクラを見守ってきた町民の手によって、周囲の清掃が行われ、頑張ってくれたサクラに
御神酒をかけ、苦労をねぎらい伐倒することになりました。
伐採後、跡地はきれいに整備され、花壇となりました
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